君という名の翼(日劇【レガッタ】主題曲)
演唱:可苦可樂(コブクロ)
詞曲:小渕健太郎
歌詞&創作背景中文翻譯:Lynyu之錯了完全不負責翻譯
しわくちゃの写真には まぶしかった時間と
(皺皺的相片鮮明並相稱地沖洗出)
寄り添う僕等が痛い程 鮮やかに 焼き付けられていて
(我們的那些耀眼時光和痛楚)
はぐれたのはきっと どちらのせいでもなくて
(即使曾經迷失也一定不是任何人的錯)
気がつけば君は僕の 中に住みはじめた
(稍稍留神的話就會發現你已進駐我心中)
勝ち負けだけじゃない何かを 教えてくれたレースがある
(勝負並不只是勝負 這是你教會我的人生歷程)
一緒に走った 冷たい夏の雨
(曾一起奔馳穿越的冰冷的夏雨)
青いしぶきに重なる残像 水際に浮かべた感情
(湛藍的水花上重疊殘留的映像 水面上漂浮著的感情)
喜びや悲しみの傷さえ 包み込んだ 約束の光
(那是連喜悅和悲傷的痕跡都能包容的約定之光)
あきれる程 真っ直ぐに 走り抜けた季節を
(筆直地追尋著向前奔馳的季節)
探してまだ 僕は生きてる
(直到滿足為止 才感覺到自己確實活著)
間違いだらけの あの日々に 落とした涙と答えを
(在不斷犯錯的那些日子裡 收集滿腔的淚水和解答)
胸いっぱいにかき集めて もう一度 あの夏空 あの風の向こう側へ
(藉著以你為名的雙翼 再度飛向那片藍天 飛向那陣風的另一端)
君という名の翼で
夕凪が水面に 並べた羊雲のように
(風平浪靜的水面映出一層層的高積雲)
斑の心じゃ君の 声にも気付かない
(一顆有瑕疵的心連你的聲音也無法察覺)
秋風がまだ遠く夏の 終わりを待ちわびている頃
(遙遙盼著夏去秋來之時)
僕等の瞳に 最後の陽が落ちる
(我們的眼底映出了最後的落日)
追いかけてもすれ違う感情 振り払えはしない残像
(不斷追求卻仍擦肩而過的感情 揮之不去的殘像)
選べない道を目の前に 立ち尽くした 青春の影で
(以青春的身影佇立在眼前這條不得不走的道路上)
諦めても 背を向けても 誤魔化せない心の
(即使放棄 即使逃避 那無法欺瞞的心)
舵は今も 君の両手に
(現在依然由你掌舵)
叶わぬ夢を浮かべても 沈まない勇気の煌めき
(即使心中浮現實現不了的夢 也希望以不墜的勇氣光輝)
この一瞬に賭けてみたい 最後まで 離さずに 握り続けた願いが
(試著把賭注下在這一瞬間 手中那一直緊握不放的願望)
導く場所を目指せ
(最後將會指引我們朝向目標)
知らず知らずに 背中で聴いてた声が
(不知不覺之中 背後傳來的那個聲音)
今もまだ 僕を振り向かせる度 切なくて
(至今悲傷地回頭顧盼)
あきれる程 真っ直ぐに 走り抜けた 季節を
(筆直地追尋著向前奔馳的季節)
探してまだ 僕は生きてる
(直到滿足為止 才感覺到自己確實活著)
間違いだらけのあの日々に 落とした涙と答えを
(在不斷犯錯的那些日子裡 收集滿腔的淚水和解答)
胸いっぱいにかき集めて はぐれない様にと抱きしめた
(再也不放開地懷抱在心中)
もう一度 あの夏空 あの風の向こう側へ
(再度飛向那片藍天 飛向那陣風的另一端)
君という名の翼で 僕等がいた あの空へ
(藉著以你為名的雙翼 飛向當初那片屬於我們的天空)
(收錄於可苦可樂《ALL SINGLES BEST》精選輯、《5296》專輯)
―君という名の翼―(《ALL SINGLES BEST》version)
自分の傷が、相手の勲章。自分の短所が、相手の長所。自分の苦手が、相手の得意。そんな風に、一対一の関係は真逆なほど面白くなり、それが相手への信頼に繋がると思う。強く結んだパートナーシップは、たとえその相手と離れても、背中に大きな翼をくれるから、いつか一緒に飛べる。青春時代は、理由もなく我武者羅に走り続けられた。その時に見えなかった人と人の繋がりの大切さを、今、背中に感じる。一枚一枚の羽は、自分一人では飛べない空へと連れて行ってくれる、誰かの心なんだろう。(小渕健太郎)
(自己的傷是對方的勳章,自己的缺點是對方的優點,自己最不擅長的卻是對方的長處。在這樣的情況下,這種一對一關係反差越大就越是有趣,我想這建立了對夥伴的信賴。即使和夥伴分離,這緊緊相繫的夥伴關係也會變成背後那偉大的雙翼,總有一天可以一起飛翔。年輕時不問理由就一個勁地往前衝,當時無法察覺人與人之間的聯繫的重要性,現在感覺到它就在背後。一根根的羽毛能夠帶著自己飛向一個人無法抵達的天空,大概是因為某個人的心的緣故吧。)
―君という名の翼―(《5296》version)
僕等は、二人という最小の集合。自分以上に相手を信頼し、一つの事を成し遂げる為に必要なパートナーシップを、僕等はコブクロで学び続けていると思う。成功する事より、成長する事。諦めよりも、失敗の方が遥かに尊いと思えるようになった。青春時代のように突っ走るには、翼のような強い味方が必要。相手が自分の翼になる時も、自分が相手の翼になる時も、同じ方向を向いていられるように、いつでも支えられるように、強い気持ちで夢に向かっていきたい。(小渕健太郎)
(我們是雙人組的最小集合。信賴夥伴勝過相信自己,我們在「可苦可樂」持續學習的即是為了達成目標不可缺少的夥伴關係。比起成功,更重要的是成長。比起放棄,我們寧可遙遙珍惜失敗。要像年輕時那樣往前衝,需要像翅膀般強而有力的夥伴。夥伴成為自己的雙翼之時,以及自己成為夥伴的雙翼之時,無論何時對方都支持著自己,想要就這樣以堅定的信念和夥伴順著同一個方向朝夢想飛去。)
老實說這首歌我個人覺得比《蕾》還要難翻囧。《蕾》是意境優美得太難翻,而這首是不明白的單字太多,尤其創作背景也難翻得要死。小渕大魔王真的快讓我發飆(自己日文不好硬要把錯牽拖給創作人),所以這一首一定是目前最不負責最唬爛的歌詞翻譯(逃)
中文官方翻譯把這首翻成《你的翅膀》,我個人偏好翻成《以你為名的雙翼》,因為我感覺小渕的理念是想表達:「自己是夥伴的翅膀,夥伴也是自己的翅膀,這樣一來兩個人就能飛翔。」所以翻成《以你為名的雙翼》比較好(被蓋布袋拖走)。
這一首也可以排進我的可苦可樂歌曲排行榜前五名,曲風、歌詞、創作理念、MV等等都超喜歡,尤其是創作理念更是深深地打動著我。也許是小渕那種「擁有雙翼就能飛向夢想」的想法和我完完全全相同的緣故吧。
我的文字和閱讀愛好都傾向於簡單白話,沒有華麗詞藻。閱讀鉅細靡遺的文字讓我感覺無聊透頂,大腦發暈。書寫具有水準的文字讓我感覺度日如年,大腦發暈。我深信我喜愛閱讀的文字是好文字,但我書寫的文字並不值得一讀。
2008年5月26日 星期一
[歌詞]可苦可樂《蕾》
蕾(日劇「東京鐵塔:老媽和我,有時還有老爸」主題曲)
演唱:可苦可樂(コブクロ)
詞曲:小渕健太郎
歌詞&創作背景中文翻譯:Lynyu之不負責翻譯
涙 こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ
(即使淚水流下 在笑容中被汗水所掩蓋的話)
誰も気付いてはくれない
(誰也無法注意到)
だから あなたの涙を僕は知らない
(所以我沒有發現妳的淚水)
絶やす事無く 僕の心に 灯されていた
(永不滅絕地點亮我的心)
優しい明かりは あなたがくれた 理由なき愛のあかし
(溫柔的光是妳給我的 無需理由的愛的光芒)
柔らかな日だまりが包む 背中に ポツリ 話しかけながら
(彷彿置身溫柔的陽光中 在背後對我低聲耳語)
いつかこんな日が来る事も
(即使不知何時才會有那樣的一天)
きっと きっと きっと わかってたはずなのに
(也一定 一定 一定 一定會明白)
消えそうに 咲きそうな 蕾が 今年も僕を待ってる
(宛若凋零 宛若綻放 花蕾今年也在等待著我)
掌じゃ 掴めない 風に踊る花びら
(掌心無法捕捉 風中飛舞的花瓣)
立ち止まる肩にヒラリ
(輕巧地舞落肩上)
上手に乗せて 笑って見せた あなたを思い出す 一人
(我微笑看著停佇的花瓣 心裡只想著妳一人)
ビルの谷間に 埋もれた夢を いつか芽吹いて
(埋藏在高樓之間的夢想 總有一天會萌芽)
花を咲かすだろう 信じた夢は 咲く場所を選ばない
(無論何地 心中堅信的夢想一定能綻放出花朵)
僕等この街に落とされた影法師 みんな 光を探して
(我們投射在這座城市的每個影子都在探尋著光芒)
重なり合う時の流れも
(即使是交錯的時代洪流)
きっと きっと きっと 追い越せる日が来るさ
(一定 一定 一定 也會有能夠超越的一天)
風のない 線路道 五月の美空は 青く寂しく
(無風的軌道 五月的天空湛藍而孤獨)
動かない ちぎれ雲 いつまでも浮かべてた
(靜止的雲絮無論何時都飄浮著)
どこにも もう戻れない
(無論走到哪一步都已無法回頭)
僕のようだと ささやく風に キラリ舞い落ちてく 涙
(似乎在對我耳語的風中 滴落晶瑩的淚水)
散り際に もう一度 開く花びらは あなたのように
(凋零之際 再度散落的花瓣宛若是妳)
聴こえない 頑張れを 握った両手に 何度もくれた
(緊握的雙手中是妳給的無數次聽不見的加油聲)
消えそうに 咲きそうな 蕾が 今年も僕を待ってる
(宛若凋零 宛若綻放 花蕾今年也在等待著我)
今もまだ 掴めない あなたと描いた夢
(至今仍無法捕捉 當初與妳一同描繪的夢想)
立ち止まる 僕のそばで
(駐足在我身旁)
優しく開く 笑顔のような 蕾を探してる 空に
(宛若帶著笑容一般 溫柔地綻放著 探尋花蕾的天空)
(收錄於可苦可樂《蕾》單曲、《5296》專輯)
―蕾―(《5296》 version)
地元宮崎を離れて12年。母が天国にいって12年。まだ右も左もわからない頃に、一度に訪れた、二つの出来事。悲しみも何もかもが通り過ぎ、ただただ不安だった。だけど強くなろうって思った。ある時から、背中に母を感じ始めたから。ずっと守ってくれた。ずっと頼ってきた。心で小さく想えば、近くに感じる事が出来る、とても大きな存在。12年分の感謝を、この曲で唄う事が出来た事。「蕾」という名のツアーをまわり、全国で母の話をさせてもらえた事。本当に本当に嬉しかった。母は、この歌が大好きみたいです。(小渕健太郎)
(離開故鄉宮崎十二年了,母親也去了天國十二年。在我還分不清人生方向的時候,就經歷了這兩件事。經歷過悲傷和其他數不清的事情,當時只感到不安,但必須堅強起來。就從那一刻開始,我感覺到母親就在我背後,一直守護著我,而一直以來我也依賴著她。稍微用心感受,就能感覺到她親近而重要的存在。藉由這首歌,能夠唱出我對她十二年來的感謝之情。在名為「蕾」的全國巡迴演唱會中,我向大家提及了母親的事,真的非常開心。母親似乎也非常喜歡這首歌。)(小渕健太郎)
這首歌是可苦可樂第二個高峰,第一個高峰應該是《只在這裡盛開的花》。2007年真的是可苦可樂年,不僅紅上加紅,也叫好又叫座。當初《只在這裡盛開的花》拿下單曲公信榜第二名(真想知道冠軍是誰),到了《蕾》的時候終於稱冠,而且拿下2007年日本唱片大獎,專輯《5296》也長紅大賣,目前銷量朝三百萬張挺進。
翻譯這首歌的時候真的吃盡苦頭,因為原作的日文歌詞意境實在太深太美,再加上這首歌背後的意義太感人(為了去世12年的母親而寫),我感覺我簡直是在太歲頭上動土囧。
我想大家最好去看看這首歌的MV,拍得非常感人,用影子做了許多意義非常深遠的象徵,被選為「年度最好哭歌曲」果然不是蓋的。
2008年5月25日 星期日
[歌詞]可苦可樂《ここにしか咲かない花》
ここにしか咲かない花(日劇《琉璃之島》主題曲)
演唱:コブクロ(可苦可樂)
詞曲:小渕健太郎
歌詞&創作背景中文翻譯:Lynyu之不負責翻譯
何も無い場所だけれど ここにしか咲かない花がある
(雖是個什麼都沒有的地方 卻有著只在這裡盛開的花)
心にくくりつけた荷物を 静かに降ろせる場所
(是個能夠把心中積藏的行李靜靜卸下的地方)
空の色映し出した 瑠璃色の海遥かから聞こえる
(琉璃色的海映出了天空的顏色 從遠遠的地方傳來你的笑聲)
あなたの笑い声は よく聴けば 波の音でした
(仔細一聽 才發現那其實是海浪的聲音)
寂しさ隠せずにいるなら 一人になればいい
(如果寂寞已經無法隱藏 那獨自一人也無所謂)
囁くほどの声で呼んでいるのは いつも 同じ名前
(一直呢喃呼喚著的總是同一個名字)
あの優しかった場所は今でも 変らずに 僕を待ってくれていますか
(那個溫柔的地方到現在還是一樣在等著我嗎)
最後まで笑顔で 何度も振り返り
(一直到最後仍然無數次帶著笑容往回顧盼)
遠ざかる姿に 唇噛み締めた
(以漸行漸遠的姿態緊咬著雙唇)
今はこみ上げる 寂寞の思いに
(眼前湧上的寂寞)
潤んだ世界を 拭ってくれる
(被淚水浸溼的世界)
指先を 待っている
(等待指尖將其拭去)
影が教えてくれるのは そこにある悲しみだけじゃない
(影子告訴我那裡不是只有悲傷而已)
うつむく顔を上げて振り返れば そこにある光に気付くだろう
(如果抬起頭往回看的話 就會發現那裡的光芒)
同じ数の出会いと別れ でも割り切れなくて
(幾度相逢幾度別離 仍然無法割捨下你)
余るほどの想い出をいつまでも 胸に咲かせながら
(無盡的思念無論何時都在心中綻放著)
雨上がりの道は泥濘るむけれど 今ここに 生きている証を刻むよ
(雖然下過雨的街道滿是泥濘 但現在我要在這裡刻劃出活著的證明)
どうかこの涙を しおれかけの花に
(在何處這些淚水才能讓枯萎的花)
喜びの彼方でもう一度咲けるように
(再度於喜悅的彼方盛開)
願いは海風に 吹かれて大空へ
(心願被海風吹向天空)
やがて小さな 虹をわたるよ
(瞬間越過那道小小的彩虹)
いつの日か その足で
(總有一天一定會抵達)
ここにしか咲かない花 ここにしか吹かない風
(只在這裡盛開的花 只在這裡吹拂的風)
ここでしか聴けない歌 ここでしか見えないもの
(只在這裡聽見的歌 只在這裡看見的事物)
ここにしか咲かない花 ここにしか吹かない風
(只在這裡盛開的花 只在這裡吹拂的風)
あの優しかった場所は今でも 変らずに 僕を待ってくれていますか
(那個溫柔的地方到現在還是一樣在等著我嗎)
ふいに込み上げる 寂寞の想いに
(湧上而滿溢的寂寞)
潤んだ世界を拭ってくれる
(把被淚水浸溼的世界拭去)
雨上がりの道は泥濘るむけれど 今ここに 生きている証を刻むよ
(雖然下過雨的街道滿是泥濘 但現在我要在這裡刻劃出活著的證明)
いつかこの涙も 寂寞の想いも 忘れ去られそうな時代の傷跡も
(在何處這些淚水才能讓寂寞和被遺忘的時代傷痕)
燦然と輝く あけもどろの中に
(在染紅天空的朝陽中燦爛閃耀)
風が運んで 星にかわる
(被風送走成為繁星)
そんな日を 待っている
(等待著那一天的到來)
(收錄於可苦可樂《Nameless World》專輯、《ALL SINGLES BEST》精選輯)
―ここにしか咲かない花―(《Nameless World》 version)
生きるという事。それは無意識の中で、自然と過ぎてゆく営み。人との出逢いや別れが、人を強くし、弱さも思い知る。長い一本の道の上で、何かを拾ったり手放したりしながら、最後は自分の持ってるだけの荷物で生きてゆけるもの。まるで、種が落ちた場所で静かに咲く、花の様に。この曲の舞台となった“鳩間島”には、美しい花が沢山咲いていた。決して肥沃とは言えない大地に、力強く。まるで、島に住む人々の、心を映す様に。
(「生存」這回事,即是在不知不覺中自然流逝的生命。從和人們的相逢與別離中能讓人變得堅強,也理解到人的弱點。漫長的道路上,有所得也有所失,最後也只能靠自己擁有的行囊活下去。那就像種子,在落地處默默地綻放成花。這首歌的背景舞台「鳩間島」上,開著各式各樣美麗的花朵。絕對談不上是肥沃的大地,但卻具有強勁的力量,彷彿映出了島上居民的心。)
―ここにしか咲かない花―(《ALL SINGLES BEST》 version)
生きていて、自分自身の変化に気付くのは、変わらないものが教えてくれるなんでもない優しさに気付いた時。心の荒んだ場所に染み込むから、時に少し痛みも覚える。人は、欲深く生きればきりがなく、感謝を胸に生きればいつも満足。どう生きるかは、自分が決める事。今、生きている場所に意味を感じ、そこで出来る事を精一杯やることで、小さな生き甲斐を見つけられる。それは、人との出逢いと別れの中で生まれる、笑顔と涙の間に隠れた、小さな花のようのものでしょう。(小渕健太郎)
(活在世上,會注意到自己的改變的時候,就是學習到永恆事物以及察覺自己的溫柔之時。因為心中那塊荒蕪之地被浸染,有時連小小的痛楚也會記得。活著時若能不貪心,並打從心底懷著感激的話,人無時無刻都是滿足的。要以怎樣的方式活下去是自己要決定的。如今體會到自己生長之地的意義,一定盡全力把可能的事做好,就看見小小的生存價值。那大概就像是,誕生在相逢與別離之間、隱藏在笑與淚之間,那一朵小小的花吧。)(小渕健太郎)
雖然在一個月前,我喜歡上可苦可樂的音樂時就已經PO過歌曲介紹,不過我決定把先前那篇刪掉,再重PO一篇新的。
可苦可樂被喻為日本最溫暖的平民二人組合,歸類為「療癒系歌手」,溫柔的歌聲和情感刻入人心的歌詞是他們受到廣大歡迎的最大原因。的確,尤其是當我第一次聽到《只在這裡盛開的花》時,已經被歌曲開頭的小渕的聲音深深驚艷且感動。當時的感受是:竟然有人能寫出如此貼近我心情的歌詞,竟然有人能譜出在一瞬間就能感動人的旋律,竟然有人能夠在具備前兩項條件的情況下,還用那樣溫柔的歌聲唱著。我完全地折服了,無話可說地折服了。
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